この数か月、わたしが忙しかったり、母の病院通いばかりで、一番大切なことを忘れていた。
認知症介護で大切なことは、お薬を飲み忘れない、優しく接するなど、人それぞれだと思うのだが、わが家の場合は「母が料理を作り続けること」。
どうしても独居なので、ひとりの食事はお粗末になってしまう。
東京からスマカメで、母の食事風景を確認するのだけど、夕方に菓子パン(福田パン)とコーヒーだけの時はさすがにショックだった。
そんな貧相な食事なのに、看護師さんやヘルパーさんには、いいところを見せようとする。
母の言うことを、皆さん信じていると思うけど、これは間違い。
頭の中で作りたい料理を決め、必要になる材料の種類・量が分からないから、そう取り繕うしかないのだ。
ヘルパーさんが木曜日に買い物に行ってくれるのだけど、前は自分で欲しいものをチラシから見つけ、リストアップすることができた。絶好調な頃は、チラシを切り抜き、スーパーの売り場順にその切り抜きを並べ替えていたこともあった。
今はそのスーパーがどこにあるか分からなくなることもあるし、チラシを切り抜くこともしない。自分の欲しいものも分からないから、わたしに何度も聞いてくるのだけど、少し頭を使って欲しいからと、自分の欲しいものでいいよとしか言わない。
こうやって、少しずつできないことが増えていくのは分かっているから、その中でもできることはないかと探し続ける。
そうした認知症の進行を寂しいと思う人もいるかもしれないけど、できることが残っているのだから、それだけですごいこと。
昨日使った、油汚れべっとりのフライパンを、母は気にもせずにまた使う。
さすがにこれは・・と思ったときは、わたしが洗うのだけど、母は「熱消毒されるから平気」とかいう。
調味料はもはや、砂糖、塩、油、しょうゆの4つ以外は使いこなすことができない。
魚はフライパンで焼くので、油がフライパンでたまり、とにかくまずい。
そんな状態でも、目玉焼きは作れるし、もやし炒めも作れる。
ラーメンはまだ作れるし、ゴールドブルー風だって、ギリギリ作れる。
こんなんでも、母なりに息子に料理を作ってあげたいという思いをくみ取ることはできるから、黙って見守るしかない。
だから、息子に料理を作る役割は、分からなくなるまで、動けなくなるまでやってもらうつもり。
料理ができなくなったっていい、リンゴをむけばいいから。
味付けができなくたっていい、コーヒーを入れてもらうから。
どんなお薬より、ユマニチュードより、うちはこれを続けることが一番の薬であり、認知症の進行を遅らせるものと信じているし、6年そうやってきた。
おかげさまで、認知症の進行はゆっくりだと思う・・・たぶん。
ちなみに最近の朝食は、この3パターン
- 母自身とわたしの2人分の目玉焼き、もやし炒めを作る → 合格
- 皿の上に食パンだけ乗せて、目玉焼きともやし炒めを忘れる → やや合格
- わたしが起きてくると、自分だけ食べ終わっている。 → 不合格
3は食べ終わっているうえに、わたしの顔を見るなり「あら、あんた盛岡に居たの」としれっと言う。
「昨日の夜、一緒にテレビ見たじゃん」と言うこともあるが、もちろん忘れているから、あんまり意味ない。
1が多くなるようにするためにやっていることが、記事タイトル下の写真。
台所のテーブルに皿を2枚並べておくと、息子が盛岡に居ると分かるみたい。
これが、わたしが6年かけて考えた、地味~な工夫。
本や講演で発表するほどのネタではないけど、こういう細かい工夫は探せばいっぱいあるし、皆さんも同じだと思う。
今日もしれっと、しれっと。
はじめまして。いつも楽しみに読ませて頂いています。若年性アルツハイマーの夫と暮らすヒントや知恵を教えて頂いています。30代半ばから統合失調症を患い、落ち着き始めた50代始めにアルツハイマーも。大変ではありますが、今はこうして「病気の知識」を広く収集できるようになりましたので助かっております。くどひろさんのものは、優しさと現実性のバランスが快く読むのが重荷になりません。新刊も予約させていただき楽しみにしています。
稼ぎ手なもので、講演会にはなかなか出向く余力がありませんがこれからもどうぞ宜しくお願いします。
まるこさま
いつもブログを読んで頂き、ありがとうございます!
そして新刊の予約もうれしいです。
優しさと現実性のバランスという分析、とても面白い表現ですね。書いている本人も重荷にならないよう意識しています。でないと、6年もブログをしれっと続けられませんもんね。今後ともよろしくお願いします!