人間って誰でも、「プライド」 を持っているものですが、認知症の人も当たり前のように 「プライド」 を持っています。
この記事のもくじ
「わたしは認知症なんかじゃない」 というプライド
家族は明らかに認知症だと思っていても、当の本人は全くその意識がない。病院に連れて行こうにも、本人は認めないのでなかなか病院に連れて行けない。だれもが通る最初の関門であり、「プライド」を意識する最初です。
「自分はなんでもできる」 というプライド
病院に連れて行っても、認知症と診断されても、「認知症なんかじゃない」 が続く人はいます。認知症という自覚がない状態は続くので、日常生活も普通だと思っています。
「買い物ぐらい、自分でできる」 「お金の管理だって、自分でできる」
家族から見ればできてなくても、本人は 「自分はなんでもできる」 というプライドを持っています。
「自分は若い頃、えらかった」 というプライド
認知症の方は、直近の事を覚えてないので、昔の話が大好きです。男性なんかだと、
「おれは若い頃、部下が100人いたんだぞ」 とか
「おれは部長にまでなったんだ」
聞いている方は、「そんなのどうでもいい!」 って思うんですが、それが支えになっているんでしょうね。認知症でなくても、こういう事をいう男性は多いんですけど・・・(出て行った父親は、こういうタイプ)
「自分がやってしまった事を認めない」 というプライド
認知症になると、よく物がなくなります。我が家も毎日、何かしら捜し物をしています。原因は本人がどこかにしまい忘れた事にあるんですが、
「娘が家で使うっていって、この前持って行った」
いわゆる ものとられ妄想(=わたしは取り繕いと呼んでる) ですが、自分の非は認めないというプライドがきっちりと残っています。
プライドへの対処法
どの認知症の本にも、「認知症本人のプライドを尊重しましょう!」 と書いてあります。尊重するって事は、言っている事を否定しないとか、本人の気分を害さないようにする ということです。
分かってはいるんですが、実際この通りに100%対応できるかと言えば、ムリ!家族は一緒にいる時間が長いので、特にムリです。だから、100%対応しないようにしてます。前に記事で書きましたが、
「同じことや間違いを5回までは耐えるけど、6回目は指摘する。プライドが傷ついたとしても。」
少なくとも5回は本人は気分がよかったはずですが、介護する側は正直いうと不本意ですよね。間違っていても認めないといけないし、同じ話も毎回同じように対応しないといけない。でも、1回ぐらいは許してよ とわたしは思ってます。
他のプライド論
・「身体拘束」 はプライドを傷つけ、人としての自尊心を失う。
・年を重ねると、認知症あるなしに関わらずプライドが高くなる
なんてこともよく言われます。身体拘束は以前書いたので今日は省略しますが、母をみて思うのは、
「プライドがあるうちは、まだいいほうなのかも」
ということです。亡くなった認知症の祖母は、最期の方は 「プライド」 が、かなりなくなってました。そう考えると、プライドがあるうちが花 なのかもしれませんね。
今日もしれっと、しれっと。
物を盗られる、移動してあるといった被害妄想を頻繁に繰り返す母です。
その犯人が妻になっています。
この頃は暴力的にもなっていて、妻への危険性も考えて、食事の世話等は私がやっています。否定はしてはいけないと言われますが、危害が及ぶようなことを認めるわけにはいきません。
間違ってますか?
悩める息子さま
コメントありがとうございます!
間違ってないと思います。わたしもまずは危険回避をして、その後どうしてその妄想になるのか考えます。うちは義弟の犯人率100%でしたが、理由をいろいろ考えた結果わかり今でも妄想はありますが、その理由に納得しています。うちは2年かかってデイを利用するようになったのですが、それ以来もの盗られ妄想がかなり減りました。