介護のため東京から岩手へ帰り、2週間の健康観察を乗り切った今思うこと

体温計

わたしのコロナ禍の都内での生活を、箇条書きにしてみた。

  • フリーランスの物書きのため、毎日の通勤はなく、電車に乗らない
  • 執筆場所は、自宅のみ
  • 持続化給付金を受給した(仕事がなく、外に出ない)
  • 膠原病の妻は社会復帰しておらず、わたしと同じく自宅にいる
  • 子どもはいない
  • リアルに会って一定時間話した人の数は、4月~6月で5人とか?(歯医者と美容室くらい)
  • 主な外出場所は、近所のスーパーとお散歩
  • 移動手段は、ほとんど自転車か徒歩
  • 居酒屋・会食・イベントなど、人が集まるところへはずっと行ってない
  • シャンパンコールは、テレビでしか見たことがない

東京都民ではあるものの、圧倒的に人と接触がなく、密な場所へも行かないので、限りなくコロナ感染リスクは低いほうだと思う。しかし……。

移動自粛解除直後のタイミングで帰省するのがベストだった

今振り返ると、6月19日の県をまたぐ移動自粛解除後すぐに、帰省の準備を始め、6/29に岩手入りできてよかったと思う。ここしかない!というタイミングだった。

Go to キャンペーン、東京由来、劇場クラスターといった言葉が飛び交う今、認知症の母が利用している各介護事業所に帰省の許可をもらっても、ダメと言われたと思う。不要不急の外出には当たらない介護であっても、帰省するとデイサービス2週間利用停止とか、自分が無症状感染させるかもという理由で、簡単に帰省できない。

6月29日から岩手のビジネスホテルで、食事やシーツ交換などサービスを利用せずに自主隔離生活を送っていたが、東京の感染者数が増えていくニュースを見るたびに、正直肩身の狭い思いだった。6/29に移動したときは、感染者数58人のところから来た人だったのに、昨日から286人のところから来た人になってしまった。

2週間の自主的な健康観察期間を無事に終え、すでに岩手滞在19日目になった。わたしも母も元気で、今でも熱は毎日測っていて、おかげさまで健康だ。

頑張って帰省した意味はあった

どの地域の方も、介護とか理由に関係なく、東京の人は来て欲しくないと感じていると思う。わたしが逆の立場なら、きっとそう思う。

しかし、実家に帰ってきて、認知症の母の様子を自分の目で確認できて、本当に良かった。岩手の妹のメールや見守りカメラだけでは、どの程度認知症が進行しているか、詳しくは分からない。やはり、リアルに母と接しないと分からないことはたくさんあった。

ほかにも、たまっていた燃えないゴミ、新聞紙の廃棄、大量の郵便物とともに滞っていた手続き、支払いを終えていなかった訪問看護、薬局の支払いなど、会えなかった3か月でたまりにたまったお仕事を次々と処理した。

そして、お盆にはいつも通り和尚さんが自宅に来て、お経をあげることも分かった。仏壇やお布施の準備を母はできないので、わたしが必ずいないといけない。また緑内障の通院も残っている。

7月20日に帰京する予定だったが、今後都内との往来が厳しくなる可能性もある。だから、このまま8月15日まで岩手に長期滞在し、しばらく戻って来られなくても大丈夫なくらいまで準備をするつもりだ。

2週間の健康観察を無事終えて、岩手の皆さんと話した

2週間の健康観察を無事終えたところで、岩手のケアマネ、デイサービス、訪問リハなど、今回許可して頂いた介護事業所すべてに不安を解消してもらうため、健康である旨の連絡をした。

その後、医療・介護系の方、ご近所さんなどに会ったが、わたしが東京から来たと知っている人に「健康観察をして、無事2週間経過しました」と、伝えるべきかどうか本当に悩んだ。

母の通院でレンタカーを借りるため、東京の住所が書いてある免許証を出したときも、自らの健康状態を先に言おうか悩んだ。

結局、ものわすれ外来の診察室で医師と会ったときや訪問リハビリを受けたときなど、向き合って話す場合を除き、伝えなかった。でも質問されたら、いつでも答えるつもりではいた。

ビジネスホテルで健康観察した領収書の写真、その日の朝の体温計の写真など、安心してもらうための材料は何でも揃えたし、実際に見せたこともあった。

東京に行ったら、空気感染するくらいのイメージを持っている方が多いなと思った。「東京へ行った人が感染した」という見出し報道が多いから、そうなっちゃうのだと思う。3密を避け、夜の街やイベント、会食を避ければ、行っただけで感染することはないのだが。

わたしにとって、盛岡→東京への移動はラクだ。しかし、東京→盛岡の移動は、今後もすさまじいプレッシャーとの戦いになると思う。そのプレッシャーを跳ねのけ、コロナ禍の遠距離介護は続けられるだろうか?

コロナ禍の帰省で得られた教訓

盛岡の気候は、風邪をひいてくれと言わんばかりの寒暖差で、Tシャツでよかったのに、昨日から慌てて長袖パジャマに戻したほどだ。

そのせいで風邪をひいて、近くの病院に行ったら、東京の住所が書いてある健康保険証だ!と軽く騒ぎになるのでは?と思ってしまう。絶対に風邪をひいてはいけないというプレッシャーと、今も闘っている。

東京に居たときは想像できなかった、盛岡にただ居るだけの苦悩がある。わたしが過剰に感染者ゼロの岩手のプレッシャーを感じているだけなのかもしれないが、19日間健康を保っていてもどこか落ち着かない。

結局「介護」という免罪符は、コロナ禍では意味をなさないと思う。できれば、10月にまた帰ってきたい(次回のものわすれ外来の日)と思っているが、また母が利用している介護事業所すべてに連絡して許可をもらう必要があるし、ビジネスホテルでの自主隔離も大変だ。

岩手でコロナ感染者1号になったら村八分にあうとか、葬式の参列を断られた的な話ばかりが拡散しているが、工夫して帰省した人、介護している人の体験談を読んでみたい。こうして発信するのも勇気がいるので、見つからないと思うが、わたしと同じ境遇の人はきっといると思う。

今回の教訓として、感染者数が減り、県をまたぐ移動が公に認められる、あるいはそういう社会の雰囲気になったら、介護者は即行動したほうがいい。その日が来るまで、荷造りや介護保険サービスとの調整はしておいて、タイミングが来たら、チケットを取って即行動する。もちろん、自分自身のコロナ対策は万全にして。

帰省のタイミングを逃してしまうと、平気で3か月会えない、半年会えない可能性がある。わたしは岩手県のコロナ関連のページ、知事の発言をまめにチェックしているが、帰省先の都道府県ホームページ、知事の発言にも注目しておいたほうがいい。こういうときは、その地域の一次情報に直接アクセスしたほうが間違いない。

しかし、昔より平熱下がったなぁ……。(記事タイトル下の写真は、健康観察中のわたしの体温)

今日もしれっと、しれっと。


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【わたしの書いた最新刊】
東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて13年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか