遠距離介護も丸3年が経過、無事4年目に突入しました!2016年は安定の年にしたいです!
お菓子を食べながら、診察までの待ち時間を過ごしていると、自然と知らない人との会話もはずむ、そんな不思議でステキな空間です。今回一緒にテーブルを囲んだのは、ひとりのおじいちゃんと、一組の老夫婦でした。
おじいちゃんとの会話
大変申し訳ないのですが、ここは認知症の診療所。本当に87歳かどうかは不明だし、パイロットかどうかも分からない。
祖母が生きていれば93歳だったので、昭和3年生まれだとすぐ分かりました。年齢は分からなくなっていても、生年月日は覚えていることが多いので、ちょっと試してみました。
亡くなった祖母も 「大正12年」 というと、自動的に生年月日を言い出す人で、おじいちゃんも全く同じ反応でした。年齢は、ばっちり合ってます。
次にパイロットの話は、本当だろうか・・・そう思ったわたしは、上の写真左側にある本棚から、たまたまあった戦艦武蔵と大和の図鑑を見せました。すると、おじいちゃんが一言。
武蔵や大和というのは戦艦であって、自ら攻撃するタイプ。おじいちゃんはパイロットなので、最終的には母艦に帰ることになります。この船は、わたしの帰る場所ではないタイプの船だと言ったのです・・・本当っぽい、パイロットも。
なぜか優しく話を聞けたワケ
全く知らないおじいちゃんの話は単純に興味があって、”無意識に” 傾聴していました。だから、おじいちゃんは楽しそうにお話してくれたんだと思います。
一方で、このおじいちゃんとは次いつ会うか分からない、ひょっとしたらもう会わないかも・・そうも思いました。うちの母とおじいちゃんの違いってなんだろう?と考えたとき 「終わりがあるものとないもの」 の差ではないかと思ったのです。
おじいちゃんとの会話も、1時間も話すわけはない。せいぜいあと5分だけだ・・・明確な終わりが見えていました。しかし母の場合、この1ターンの会話が終わったとしても、明日も明後日も同じ会話を繰り返す・・終わりがありません。
余命半年と医師から告げられたあと、祖母に対してめちゃめちゃ優しくなりました。それはきっと終わりが見えたからだろうと。一方の母は、あと20年は生きてもらう予定なので、祖母ほどやさしくはなれません。
「終わりあるものにはやさしく、終わりないものにはやさしくなれない」
診察室のおじいちゃんとお話していて、こんな思いが頭を駆け巡りました。そういうの関係なく、やさしくなれるようだと人間的にすばらしいのですが、修行がまだまだ足りないようです。
今日もしれっと、しれっと。
終わりのないものには優しくなれない…ほんとそうですねー。
ちょっと違うかもしれませんが、人生の終わりが近づいている人に対しては優しくなりますよね。逆に「この介護いつ終わるんだろう」って果てしなく感じるときには難しいです。
うちは…あと何十年単位ですが(笑)
だださま
余命半年と宣告された祖母には、めちゃ優しくなれました。うちも20年を予定し、かかりつけ医にお願いしました(笑)
こんにちは。いつもくどひろさんのブログに元気をもらっています。
終わりがあるものにはやさしくできるが終わりのないもの(わからないもの)にはやさしくできない、
まさにそうだと思います。寿命から考えて、私が祖母には比較的優しくできても、母にはいまひとつ
優しくできないのは自分の中で残り時間をカウントしてるからなのでしょう。
しかし自分自身もいつ終わりが来るかわかりませんので、自分にも優しくできたらいいなと思います。
縞バナナさま
いつもブログを読んで頂き、ありがとうございます!
そうですね、自分に優しくするという視点はとても大切だと思います。自分に優しくなれないと、介護者にも優しくなれませんもんね。いい気づき、頂きました!