「世界でいちばん貧しい大統領」と言われるホセ・ムヒカ前ウルグアイ大統領。給料の大半を貧しい人に寄付し、公邸に住まない。「国連持続可能な開発会議」のスピーチで、世界中の注目を集めたという今話題の方です。出版記念で来日され、テレビでも特番が組まれるほどです。
ムヒカさんのスピーチから、共感できるなぁと思ったところを、ログミーさんから引用していきます。
2年ごとに新車を買いたかった。家が小さいから、さらに大きい家が欲しくなった。それでいろいろ負債を積み重ねて、いろんなことをして負債に追われる。自分でさまざまなモノを買うこと自体を楽しみにして、自分の人生の時間を浪費してしまうわけです。そういうかたちで残るのはモノの蓄積にすぎません。
引用元:http://logmi.jp/137120
遠距離介護が始まって、働き方も変えて、収入も減ったのですが、間違いなく「時間の浪費」は減りました。20代の自分と比べると、だいぶモノへの執着がなくなってきました。ムヒカさんの域には到達できませんが、当時の4分の1の物欲しかないかもしれません。
ほかの人に強制することなく、ほかの人の考え方を阻害することなく、それぞれの人の考えを尊重したなかで、自分がやりたいようにできること、ほかの人がやりたいようにできること。それが自由です。
引用元:http://logmi.jp/137120
分かるなぁ・・・「自分がやりたいようにできること」これを実践できているので、自由です。会社員時代は、居た会社によって、できたりできなかったり・・・不自由さを感じることはたくさんありました。
しかし、人生の年月というものを買うことができるでしょうか? スーパーマーケットではなんでも買うことができます。しかしながら、人生の何年間というものをスーパーマーケットで買うことはできないのです。
引用元:http://logmi.jp/136797
時間って大切だと思いながら、お金みたいに浪費しちゃうんですよね。寿命があって、時間は有限なはずなのにそれを忘れてしまっています。
貧乏とは少ししか持っていないことではなく、無限に欲があり、いくらあっても満足しないこと。
いいコトバですよね。
介護ブログなので、認知症介護の話に置き換えてみます。おそらくイライラ怒って周りを気にしながら介護している人は、認知症ご本人や親族からの承認欲(介護頑張っていると思われたい)があるのではないかと。
でも、本人から感謝されることはゼロではないけど、ないことの方が多い。介護を手伝わない親族に承認欲を向けたところで、何があるわけでもない。そういった認められたい欲が無限に湧いてきちゃうと、満足できずについ怒ってしまうんでしょうね。
そういう状態を、「介護における心の貧乏」と呼ぶことにしました。なんとなくアドラーっぽい、解釈になりました。(詳しくは『幸せになる勇気』を読んでみてください)この絵本がめっちゃ売れているみたいです。
今日もしれっと、しれっと。
こんにちは、
5年前から3年前まで、認知症のダブル介護(祖母と実母)を、3年前から現在、実母の介護をしている者です。
河野先生の理論などをよく紹介して下さる会社の冊子でくどひろさんを知り、今日初めてスレッドを拝見しました。
頷くことばかり、明確な理論が痛快でした。
介護はいやな事ばかり。
ふと負けそうになる気持ちに、エールを頂けたように思います。
ありがとうございました。
また、いつか、コメントしたいと思っております。
田中さま
コメントありがとうございます!
お役に立てて、よかったです。
その冊子というのは、どういったものでしょうか?もしよければ、教えて頂けるとうれしいです。
今後ともよろしくお願い致します。