以前の母は本当に料理が上手で、冷蔵庫に何があるか完全に理解していました。ところが今は賞味期限の管理ができないし、いつのか分からない残り物が冷蔵庫を埋め尽くしています。
ここ数年は、息子であるわたしが冷蔵庫を支配するようになりました。わたしが支配するようになってから、冷蔵庫に入っているものはいつもワンパターン・・・
料理への恐怖心からか、母が間違いなく作ることができる料理の材料ばかりがいつもヘビーローテーションしています。
ある日のこと、妹が実家からズッキーニを持ってきました。(実際はこの倍の大きさ)
「これ、どうしよう・・・」
まずこう思ったのは、わたし自身でした。以前の母ならば、すぐにラタトゥイユを作ることができたのですが、今となっては単なる不思議な野菜でしかありません。
ヘルパーさんの買い物がありがたい
考えてみればわたしは妙な料理への恐怖心から、リスクのない材料ばかりを購入してました。ところがヘルパーさんが週1回買ってきてくれる材料は、斬新。主婦目線で、わたしが選ばないものを買ってきてくれます。
母のことを考えるならば、常に変わった材料を用意しておくべきなんです。しかし、この2年間でやってきたことは、あくまで作れる料理の材料をそろえることだけ。ズッキーニという野菜が冷蔵庫に入ってきたとき、
「もっと買い物する材料も攻めないとだめだなぁ・・・」
そう痛感させられたのです。
認知症において
ズッキーニを買うこと = 新しいことに挑戦する ということだったんですよね。でも、煮えてないニンジンの煮物を口にしたり、十分火の通らない鮭を食べると、どうしてもそれらを献立から排除してしまいます。
これは、失敗したこと = やらせてはいけないこと と介護者が判断して、どんどん可能性を狭くしていたんだなぁって。そして冷蔵庫の支配者になったわたしは、冷蔵庫以外のすべての行動でも支配者になっていたんだなぁと。
新しいことには常にチャレンジしているほうですが、それでもやっぱり行動にかなり制限をかけていました。
どでかいズッキーニを見ながら、パーッと駆け巡った頭の中の画が今日の記事です。
今日もしれっと、しれっと。
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