遠距離「2拠点在宅介護」スタートしました!

遠距離 在宅 介護 2箇所

いよいよ始まった、2拠点の遠距離在宅介護。

わたしは東京在住、認知症の母は岩手県盛岡市でひとり暮らし、悪性リンパ腫で余命1ヶ月から3ヶ月と言われている父は急性期病院を退院、最期の時を自宅(同じ市内の別のマンション)で過ごし始めた。

「最期まで病院に預けておけば、楽でしょう?」と思うかもしれない。しかし父は「家に帰りたい」と言った。それを実現すべく頑張ったし、たくさんの力を借りた。その話は次回じっくり書くとして、ある1日を朝から順に追っていく。

ちなみに在宅でお世話になるのは、ものがたり診療所もりおかの松嶋先生。しかし、父と母は実質離婚状態(籍は残っている)ので、母が認知症でお世話になっている先生とは絶対に言えない・・・超絶NGワード。

診てもらっている先生は夫婦で共通、なのに住んでいる場所は別・・・同じ家ならどんなに楽なことかとも思ったが、今さらどうなるものでもない。

ある1日はこんな感じだった!

6:00: 母がデイサービスに行く日なので、早めに起床。母は寝坊すると、デイに行きたくないというのでわたしも起きる。母にいつもお決まりの朝ご飯を用意してもらって、デイ身支度をしているかチェック。

7:00:燃えるゴミの日なので、自転車で数分かかるところまでゴミ出し。母は手足が不自由なので、ゴミ捨てはできない。なんであんなに遠いんだ、ゴミ置き場。

8:45:デイの送迎車が来たので、手を振って母を送り出し。

9:00:母がいなくなったので、父の入院保険請求の電話をする。どうやら入院保険は使えそうだが、もう1社あてにしていたほうは傷害保険で使えないことが判明。結局、問い合わせで40分近くかかる。

10:30:母の家から、父のマンションへバスで移動。父が寝るベッド搬入があるので、通路確保のため2回目のゴミ出し。前日マンションの下見はしたが、中に入ったのは10年ぶり。全く思い入れのない汚いマンションで、福祉用具専門相談員を待つ。

11:00:父の電動ベッドの組み立て開始、ポータブルトイレ、尿器など、一通りそろう。父の新しいケアマネさんとミーティングし、今後について話し合う。母にもケアマネ、父にもケアマネ・・・面白くなってきた。

13:00:14:00に父退院予定。介護タクシーが迎えにくるので、それまでに父の荷物整理をする。オムツやタオルを袋に入れてたら、お見舞金が出てきた。1か月入院した支払いをすませる・・・後期高齢者だから安いのだろう。祖母のときも、ダイレクトメールで推測して金脈を見つけたのだが、今回も父のダイレクトメールで同じことをやった。9時に保険会社に電話できたのは、前日の捜索のおかげだが、絶望的に金がない・・・年金たくさんもらって、自分でマンションも買った父が、なんで金ないんだ!と一人怒る。ここからは、お金はわたしが管理する。父と母、別財布で管理し、ミックスは絶対にしない!父の治療費の捻出を、真剣に考えないといけない。

14:00:父、退院完了。介護タクシーに乗って、マンションへ。1か月以上病院のベッドに居たので、歩けない。車椅子で移動。

15:00:父は移動で疲れていたが、やはり自宅に戻ってきてうれしそう。介護福祉士さんに、車椅子からベッドに移してもらう。アクエリアスを一口飲んだら、本当にうまそうな顔をしていた。そして、次々とこれからお世話になる人が登場。医師、看護師、介護福祉士、作業療法士、ケアマネ・・・マンションはお祭り騒ぎで、わたしは脇で書類にサイン。

17:00:父に何が食べたいかと聞くと、メロンと肉豆腐と言った。うれしいことを言ってくれる!病院のおかゆばかり食べてたから、ヘルパーさんに買い物に行ってもらう。お薬がたくさん処方されていて、管理が大変そうだと思った。これはお薬カレンダーが必要だろう!母の介護経験が、ここで役に立った。ヘルパーさんに薬局で買ってきてもらう。

19:00:皆さんいなくなって、わたしと父の2人きり。たくさんの人が出入りして、お疲れの模様。母がすでにデイから戻っているのは分かっていたが、今日はやむを得ない。父をひとり置いて帰るのは不安だが、24時間対応の緊急電話もある。父は自分で電話できるので、母の家へバスで戻る。

20:30:母の家のホワイトボードに「19:30仕事から帰宅予定」と、朝に書いておいた。母には父の容態を伝えておらず、わたしは「盛岡支店で棚卸の仕事が連日あって、帰りが遅い」というシナリオにしている。期待はしていなかったが、ホワイトボードに書いたわたしの文字は消え、当たり前のように玄関のカギがかかっていた(笑)携帯を鳴らして、玄関を開けてもらうと母が出てきてこう言った。

あら、あんた!こんな遅い時間に東京から帰って来たの?
くどひろ
んっ?朝ごはん一緒に食べて、デイの見送りしたんだけどね~
あら、そうだったかしらね、アハハ

毎日こんなだと大変だが、態勢を作る最初はこんなもんだと思う。少しずつ慣れて、力の抜きどころが分かってくるはず。

いつ死ぬか分からない父と比べたら、母が同じことを何回も言ったり、カギをかけられたりすることぐらい、かわいいものだ。何でも許せる・・・今のわたしは無敵かもしれない・・・くどひろ無双、なんでもこい!!

こういう状況なので、母が息子に料理を作る割合が減り、会話量も少ない。生活のリズムが命なのに、父の介護が入って、リズムが作れない・・・最近、同じことを質問する回数が激増しているので、手を打とうと思っていたら父がこんなことになってしまった。でも、しゃあない。

父の在宅介護は、毎日勉強になることばかり。本当にこの経験はすばらしいし、また多くの人に伝えたいことが増えた。普通なら(嫌な)会社勤めをしながら、こういう介護がやってくるから強烈なストレスになる。でもわたしは、伝えたい意欲がすごくて、逆に面白くなってきた・・・ケアラーズ・ハイ(という言葉を作ってみた)。たくさんの方に読んで頂ける環境にいる自分は、本当に幸せなのかもしれない。じゃないと、この環境を面白いとはいえないと思う。

ものを書いていることを家族に隠してきたのだが、最期かもしれないと思い、父に伝えた。妹は3年も前にばれていた・・・そりゃそうだ、検索すれば何かしらひっかかるから。これを機に、伝えてなかった長年お世話になっている人に開示していこう。元々、父に何かあったら、そうしようとは思っていた。

父の介護記事が、増えていく気がする。そして以前ご紹介した「Amazonほしいものリスト」を父用に更新してみた。いずれ記事にするが、普通の治療がままならない今、一縷の望みをこれに託して今治療を開始している。

Amazonほしいものリスト 介護

くどひろほしい物リスト → http://amzn.asia/g5jJcsi

こういうとき「頑張る!」と言ってはいけない。体力を残して、頭を賢く使って、情報を集めて、頼れる人に徹底的に頼る。そして、しっかり記事にして残す。あと1回、母の時にも同じことをやる予定。自分の備忘録でもあるし、全国の誰かのためでもある。

今日もしれっと、しれっと。


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【わたしの書いた最新刊】
東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

2件のコメント

すごいです!

ブログ、そして本になることで普通ならストレスになりかねない介護が、ネタの宝庫に見えてきますよね。
お父様とお母様のダブル介護がこれからどういう展開になるのか参考にさせていただきます。

それにしても、退院と同時に介護グッズが来て、ケアマネや、ヘルパーさんなど次々に段取りよくスケジュールを組まれていてすごいと思いました。
だいたい、その辺りがもたつくし、イラつくし、疲れるポイントなのにさすがです。

ところで、うちの母も去年よりかなり進み、記憶が1分になっています。ここからどうやってこの記憶というか、母の脳を維持させるか非常に悩むところです。

mmさま

本当にどういう展開になるのか・・・というか、まさに今大きく展開しております。ネタが倍増・・・いや3倍増してます。

このスケジュールは、ケアマネが優秀というのもあります。一気に態勢を整えたおかげで、父はどんどん元気になっております。記憶が1分・・・うちも同じかもしれません。さっき質問したことを、1分以内によく質問されます。

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて13年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか