先日、肺がんの再検査のため、認知症の母をCT検査に連れて行きました。その時の母の反応から、認知症について考えさせられたお話です。
母の旧姓は髙橋
CT検査が終わって、診察室の前で医師から呼ばれるのを待っていたときのことでした。大病院の診察室は横1列に11部屋あって、その前にやはり横1列に椅子が並んでいて、それぞれの科の患者さんが待っていました。
わたしたち親子は呼吸器内科の前で待っていたわけですけど、隣の科の人も呼ばれるので、とにかくいろんな名前が飛び交います。
あれ、高橋だってよ。あら、違うか。
母が高橋に反応するようになったのは、ここ数年の話です。母が子どもの頃の姓は、髙橋でした。祖母と祖父が離婚してから、母の姓は工藤になりました。で、父と結婚したわけですけど、父は婿だったので、そのまま工藤の姓で80歳まで来ました。
おそらく高橋姓は、生まれてから中学か高校ぐらいまでだったのではないかと思います。認知症の軽度、中等度の頃は、高橋の姓に母は無反応でした。それが重度まで進行した今、急に高橋に反応するようになったのです。
この日の患者はなぜか高橋さんが多く、岩手は確か高橋姓が多かったように思うのですが、母が何度も高橋に反応したのです、工藤なのに。
違う、まだ。名字は工藤でしょ、工藤。
そうよね、わたしの名前は工藤〇、よね。
小学校の頃の記憶で生きている母
認知症の人は直近のことは覚えていないけど、昔のことは覚えていると言いますよね。それは前から分かっていたことですが、母がやたら小学校の話になっているように思います。
やたらと夏休み、冬休みの話をするのは、何でだろう? デイサービスを学校、デイサービスの所長さんを先生と言うのは何でだろう? わたしは小学校の頃、褒められたとばかり言うのは何でだろうと。
旧姓にやたら反応したことからも、おそらく母が思い出せる記憶は小学校付近なんじゃないかなと思います。もう漢字で名前は書けなくなっていますし、旧姓まで記憶が戻っても不思議ではありません。もうちょっとしたら、母を高橋さんと呼ぶ時期が来るのかも??
音声配信voicyの最新回は、今回の待合室の話の別バージョンです↓
今日もしれっと、しれっと。
高橋さん、高橋〇〇さん~