タイトルがキャッチーだったので、思わず購入したのが「大往生したけりゃ医療とかかわるな【介護編】」です。
医師の中村仁一先生が書いた本で、前作の「大往生したけりゃ医療とかかわるな」は、50万部を突破した大ベストセラーです。今作は2017年3月に出たばかりの新刊で、看取りに対してハッとさせられる内容になっています。
看取りの考え方に新しい「気づき」
中村先生は77歳で、ご自身を「死に損ない高齢者」の真打ちと自虐的に表現されています。
そんな中村先生が繰り返し本の中で言っているのは、黙っていれば死にゆく本人に苦痛はないのに、家族や医師が必要以上に手を施して、苦しめてしまうという現実です。
自然の経過を邪魔しない、無用な苦痛を与えないという発想は、看取りを経験しないと分かりません。家族はいいことをしているつもりが、実は本人を苦しめていて、単なる自己満足だということに気づかされます。本では、こう表現しています。
「できるだけの手を尽くす」というのは、くり返しになりますが、「できる限り苦しめる」ということと、ほとんど同義なわけですから。
そして「孤独死」についても、次のような記述があります。
この、SOSの発信と発見の手筈の2つさえクリアできていれば、孤独死は、”死に方”としては理想的といっていいと思います。なぜなら、邪魔立てをする家族や、医療従事者、介護関係者など、誰もいないので、穏やかな自然死が実現できるからです。
なるほど「孤独死」が理想という発想は、全くありませんでした。どこか「寂しくて切ないものの代表」として考えていましたが、こういう考え方もあるのだと気づかされました。
わたしの祖母の看取り経験
この本を読んで、祖母の最期の瞬間を思い出しました。娘に代理判断してもらって、「自然死」を選択しました。必要以上の延命医療も、延命介護も行いませんでした。亡くなる1週間前くらいから、食事の量が急に減り始めました。看護師さんに言われたのは、
この本にも、同じことが書いてありました。亡くなる数時間前も肩で息をするような動きがあって、辛いのかな・・・と思ったのですが、それも自然な流れだということが分かりました。
見た目以上に本人は穏やかな状態にあるのに、「食べないから死ぬ」という思いにとらわれて、ムリに食べ物を長時間押し込むことがよくあるそうです。それは本人のためではなく、「利用者家族」のためだったり、「仕事」として介護を全うしないといけないという介護職の思いからだとか。
だから、一度この本を読んで、最期の瞬間について想像してみるといいと思います。もちろん、本の内容に賛同できないという人も一定数いると思います。亡くなった祖母の病室には、「生かされている」患者さんもいました。ご家族はその「生」を支えにお見舞いに来ていたと思うのですが、本人がどういう状態にあるのかを想像する家族は意外と少ないかもしれません。
自然に死にゆく状態を医師ですら知らないこともあると書いてありました。病院では死に対して抗う(あらがう)ことが多いためです・・・なるほど。本人が生きるために必要のない栄養を与えられ、吐き出し、苦しむ姿は見たくない・・・まさに大往生したけりゃ、医療とかかわるなです。
膨らみ続ける社会保障費を、もっと若者に割り当てて!というメッセージも、わたしはなるほどと思って読みました。本当に大往生してもらいたいと思っているご家族は、一度読んでみると考え方が変わる本だと思います。
今日もしれっと、しれっと。