静岡県裾野市のわたしの講演会に参加された男性から、こうお声かけ頂きました。
『銀の猫』は『恋歌』で直木賞を受賞された、朝井まかて先生の作品。江戸時代の介護を描いた時代小説なのですが、実際の介護に忠実な部分がかなりありました。
そもそも江戸時代の介護とは?
この作品の最初のほうに、こう書いてあります。
年寄りの介抱を担っている者の大半は、一家の主なのだ。これは町人も武家も同じことで、旗本や御家人などの幕臣は親の介抱のために届をだして勤めを休むことも許されている。(略)一方、主の妻女や孫はというと、介抱の中心にはならないのが常だ。
引用元:銀の猫(文藝春秋)
小説だから・・・ではなくて、これは本当です。昔は一家の主が介護をしていたので、男性が介護するのが当たり前だったんです。現代ではマイノリティになりかけましたが、今はだいたい4割くらいは男性介護者です。
この本の主人公・お咲(25歳・女性)は介抱人と呼ばれていますが、現代に置き換えれば訪問介護をするヘルパーさんです。お徳が居宅介護支援事業所にいるサービス担当責任者で、仕事を割り振ります。
お咲は優秀な介抱人で、いろんなところからお声がかかります。現代においても、お金を払ってでもいいから指名制にしたいと思うことは多々あります。
そんな優秀なお咲でさえ、家に帰ると自分の母親・佐和とはそりが合いません。介護職の方が利用者さんには優しくできても、家族の介護はうまくいかない・・・佐和に介護は必要ないのですが、わたしにはそう読めてしまいました。
わたしが一番印象に残ったのは、この言葉です。何に最も気を遣うか?と聞かれ、お咲はこう答えます。
介抱先のご当人と、そのお身内ですね。うまく言えないけど、本来はご当人お一人を看るのが介抱ですけど、それだけで済まないというか、厭でもそのお身内とかかわることになります。伺うお宅によって、何がしかの事情は必ずありますから。(略)ご当人と向き合って介抱しようと思えば、お身内ともかかわらざるを得なくて、でも決して口出しはできないし。(略)ご当人は一人なんだけど、その背後にいるお身内とのかかわりでもあるような気がして。
引用元:銀の猫(文藝春秋)
介護職の方の中には、どうしても介護される人だけでなく、その後ろにいる利用者家族とも関わりを持たないといけない人もいます。しかも江戸時代には身分もあり、武家と農家では介護しに行くにも対応が違いますし、家格(家の格式)もあり、お咲のように身分が低いものなりの気遣いを読みながら感じます。
身分による理不尽なわがままを感じたり、人間老いていくと、身分なんて関係なく収束するんだなぁ・・・ということも、思いながら読みました。
前に担当したあのご家族は今、どんな状態になっているのだろう・・・仕事とはいえ、お世話した先の今の状況が気になったりする介護職の方は、そんな心情もこの小説からシンクロすると思います。また、家族との付かず離れずの微妙な距離を、お咲はどうやってつかんでいくのかなど、そういった読み方もできます。
特に介護職の方がこの本を読むと、お咲の心情に共感するはずですし、介護家族という目線で読んでいても、仕事のできる介護職というのは、こういう気遣いができるということが、なぜか江戸時代の設定なのに現代に自然と置き換えながら読める本です。
現代で言うところの、介護と仕事の両立、認知症、いろんな介護のテーマが隠れています。そして最後のほうで、わたしみたいなやつが登場します。『銀の猫』ご紹介頂き、ありがとうございました!
今日もしれっと、しれっと。