1.5か月の介護帰省が終わり、酷暑の東京での生活が戻ってきました。
帰京した日の翌朝、わたしはいつものようにスマカメ(見守りカメラ)で、岩手の実家の母の様子を確認しました。すると、見慣れたあの光景が、スマホの画面に飛び込んできました。
切ない映像に対するわたしの反応
その映像を写真として残したのが、こちらです。
認知症の母は、いるはずのない息子の朝食を準備し、2階から降りてくるのを待っています。嫁いでしまった娘の朝食も用意しているようにも見えますが、箸が2膳しか並んでないので、おそらく2人分の朝食を用意してしまったようです。
この映像を数年前に初めて目にしたときの妻は、「これは切ない、つらすぎる」と横で言ってました。他メディアでこの話をアップしたときも、「これを介護と言わないで欲しい」「親と同居しろ」というコメントが寄せられました。それくらい、インパクトのある写真なのだと思います。
しかし、この映像を見たときの感想は「やった!」でした。なぜだか、分かりますか?
それは、わたしが岩手の実家に1か月半も長期滞在し、毎朝毎朝、母に朝食を作ってもらった、その習慣が体に染みついていた証拠だと思ったからです。
1.5か月の間の朝食のメニューは、毎日同じでした。目玉焼き、もやし炒め、パン。来る日も来る日も同じ朝食を食べ続けた理由は、すぐ忘れてしまう認知症の母の記憶の奥底に残ると思ったからです。
親子で朝食を食べおわった1時間後に、「あんた、朝食食べた?」と言われるレベルまで、認知症が進行している母です。同じメニューを何度も何度も何度も繰り返すことで、なんとなくでも母の記憶に定着して欲しいという思いで、毎日同じメニューを食べてきました。
その習慣の表れがこの映像であり、わたしが帰京したあとも残っている証拠なのです。
この光景を切ないと思わないのか?と問われれば、それは切ないです。しかし、わたしは他の誰よりもこの光景を、何度も目にしてきました。自ら選択した介護のカタチがこれであり、すべて納得したうえでの介護です。
また、どんなに切なかったとしても、何度もこの光景を目にしていれば自然と慣れてきます。毎回涙しているようでは、介護は続けられません。だから今回は素直に「やった!」と思えたのです。俯瞰的な介護を続けてきた成果でもあります。
帰京から3日後の朝食を見ていたら、母はしっかり「1人分」の朝食だけ食べていました。1.5か月も親子一緒に居たのだから、もうちょっと一緒に居たときのことを忘れないでよという思いもありました。
それでも「きちんとした」朝食を作る習慣は、今のところ身についているようです。いずれ粗末な朝食に戻る日がやってくると思います。
新型コロナウイルスが終息するまで、こんな不思議な遠距離介護を続けなければならないのかと思うと、正直複雑な気持ちにもなりますが、おそらく順応できるはず、うまくつきあっていけるはずです。終わりが見えないのは、新型コロナウイルスだけじゃなく、認知症介護も同じなので、これからもうまくやっていきますよ!
今日もしれっと、しれっと。
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