認知症の母が息子であるわたしに「敬語」を使うのは、息子と認識できないからだと思っていました。事実、母はわたしを「お父さん」と呼ぶ回数が増え、もうすぐ息子を忘れる日がやってくるのだなと思っている最中でした。
しかし、ある仮説が頭をよぎってからは、認知症の進行もあるけど、これは母なりの処世術なのかもと思うようになったのです。
敬語という武器を駆使している母
母は週6日、3か所のデイサービスを利用しています。限度額はすでにオーバー。
もし母が認知症でなければ、それぞれのデイサービスのスタッフさん、他の利用者さんを区別しながら話ができるはずです。しかし母は重度の認知症、そうした区別はできません。
そんな状態なので、毎日よくわからない場所へ行き、知らない人とご飯を食べ、知らない人の介護を受けていることになります。もちろん全くわからないわけではなく、たまにわかる日もあります。
元々気遣いができる、いや気遣いしすぎるところがある母。そこで、急にこんな仮説が浮かんできました。

どこにいても敬語でしゃべっておけば、名前や立場が分からなくても、失礼には当たらないと思っているのでは?
見当違いかもしれませんが、これが重度の認知症の母が自然と身に付けた処世術だとしたら、人間の能力ってすごいなと思います。
わたしに対しても「とりあえず」敬語で話し始めるものの、その一環のような気がしてなりません。わたしと会話をしながら、「あれ、この人には敬語使わなくていいんだ」って、数分経つとわかるようで、自然と敬語を止めて、普通に話してくれるようになります。
あと会話の内容を全く理解していないのに、あれ、それ、これを駆使しながら強引に話が成立しているように持っていくのも、相手に失礼のないようにするためかもしれません。
この仮説を論文で書いている医師はおそらくいないし、本でも読んだことはありません。AIに仮説を説明してみると、面白い、可能性はあると言ってくれました。AIはあまり否定しないので、そういう結果が返ってくるとは思っていましたが。
今日もしれっと、しれっと。






























くどひろさん、こんにちは。敬語は表面上の「失礼の無さ」「丁寧さ」のみならず、相手との距離感を表しますから、目の前の相手との距離をある程度保つことで、相手も自分も、守ることができます。昔からのお母様の優しさと、自分軸を見失わないしっかりした面の両方が、認知症になられた今でも自然と現れたように思いました。
認知症でなくとも、高齢になるとあれ、これ、それも多いですよね(笑)でも何となく通じてますから、人間の能力はホントに凄いです。
かみゅさま
そうなんですよね。重度の認知症なので、本能的にそういう所作になっていると考えると人間ってやっぱりすごいです。