引き算ばかりの認知症介護に久しぶりに訪れた「足し算」

メリットシャンプー

いつからかは分からないが、母は髪の毛を洗わなくなった。

手足が不自由で、ひとり暮らしの母は、お風呂での転倒を恐れている。

「ひとりでお風呂で転んだら、誰も助けてくれない」

だから、何年もお風呂にゆっくり浸かっていない。

デイでお風呂に入ってもらうよう提案したこともあるが、うまくいかないので、今は放置している。

お風呂に入らなくとも、尿便失禁はよくあるので、下半身はシャワーでキレイにしているし、そのついでに上半身を濡れタオルで拭いている。

その流れで髪も洗って欲しいのだが、母もそこまでは意識が回らない。たまに髪をタオルで拭いたりもするが、基本は何もしない。

わたしが帰省してチェックする項目の中に、母の髪の毛の状態も含まれている。

もう何年もチェックしているので、母の髪の脂の具合を見ただけで「これは2週間洗ってない」とすぐ分かる。

母の髪の洗い方

洗髪のタイミングは、わたしが帰京する前日か、デイサービスに行く前日と決まっている。

台所の流し台のところに椅子をセットし、母に膝で立ってもらい、流し台に頭を出してもらう。

ボイラーで湯の温度を40度に設定して、脂ぎった母の髪の毛をまずは濡らす。

脂のせいでお湯をはじくし、わたしの指には大量の毛が絡まる。

髪の毛を洗っていないと、抜け毛が落ちずに残っているためだ。

抜け毛と脂と格闘しながら、軽く1回目のシャンプー。

最初のシャンプーは泡立たないので、もう1回シャンプー。

「横がかゆい、てっぺんがかゆい」と母が言うので、リクエストに応える。

美容室で「かゆいところはないですか」と聞かれたら、「あ、大丈夫です」としか言わないわたしなのに、どうやら母はもの言うタイプの客らしい。

タオルドライをしたあとは、風邪をひかないように丁寧にドライヤーで乾かす。

髪にボリュームが出て、母は10歳くらい若返った感じになるので、毎回「やっぱり髪洗うと若返る!」と大げさに褒めるようにしている。

褒めたら調子に乗って、自分で洗うようになるかもという願いもあるのだが、そんなにうまくはいかない。

なに、髪の毛は毎日洗わねばねーの?
くどひろ
毎日じゃなくてもいいから、3日に1回くらいは洗ってよ

必ずこのやりとりがあるが、決して自分で髪の毛を洗うことはない。

最近はヘルパーさんも髪を洗ってくれることが増え、だいぶラクになった。

シャンプーを「メリット」に変えてみた

わたしは母の髪を洗いながら、いつもこう思う。

「髪の毛は自分で洗えるはず、認知症は関係ない」と。

でもシャンプーをするという習慣が欠落していたのだから、取り戻す必要はある。さて、どうしよう・・・

まず、ドラッグストアで、花王の「メリット」シャンプーを買ってきた。(記事タイトルの下の写真)

母の記憶の中でシャンプーと言えば、きっと「メリット」だろうと。

ドラッグストアでガッカリしたのは、メリットのボトルの色。往年のあのエメラルドグリーンを期待していたのだが、オサレな色になっていた。

これから始まる令和の時代には、あの色使いはやっぱりないのか。

母がいつも使っている洗面器に「しれっと」メリットシャンプーを忍ばせておいたのだが、自分でシャンプーをすることはなかった。

認知症の人の習慣を変えるのは、やはり簡単なことではない。

母に立ってもらってシャンプーした

次に椅子をどけて、母を台所に立たせて髪の毛を洗うことにした。

椅子に座ると、美容室と同じスイッチが入って、髪の毛を洗ってもらうモードになると思ったから。

いつもの手順で髪の毛を洗ったのだが、結局わたしが最後までやってしまった。

その次は、髪の毛を洗うところだけ、母の手でやってもらうことにした。すると、母は自分の手で頭を洗い出した。わたしは襟足を少しこすったり、流したりないところを流すだけのサポートに回った。

さらにその次は、シャンプーとタオルだけ準備して母の横に立ち、待ってみた。

そしたら母が、「今日は、自分で洗ってみる」と言った。

母のまさかの提言に、わたしの声は上ずってしまった。

「お、お願い」

認知症介護は「引き算」の毎日である

認知症介護には、認知症の人ができなくなっていく姿やプロセスを見ることも含まれていると思う。

昔はひとりで髪の毛を洗えたのに、お風呂にも入っていたのに・・介護する側は初めは受け入れられず、抵抗し、ショックを受ける。

ずっとショックを受けていたら、介護する側の身が持たないから、できなくなることを自然と受け入れられるようなメンタルが身につく。

諦めて受け入れるという技術は、認知症介護をしている人なら、いつかは必ず習得するスキルだと思う。

認知症の人ができなくなるという「引き算」の毎日を受け入れられたとしても、どこかに寂しさや切なさが募る。

そんなの関係なしに、死ぬまでずっと「引き算」が続くと思うようにしていたのだが、思わぬところで小さな「足し算」が待っていた。

こういう「足し算」も、たまにはいいと思った。次はわたしが髪を洗うんだけどね。

今日もしれっと、しれっと。


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東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

2件のコメント

くどひろさんの姿勢は、「受け入れるけど諦めない」という風に私は感じていて、母の介護のときそのことを思い返して私は心を整えています。
うまく母と意志疎通できないとき、以前の私はこうしてもらわないと!と固執していましたが、くどひろさんのおかげで、選択肢を広げる発想を持つことができました。今のところこれが私の「受け入れるけど諦めない」です。

ふくいさま

確かに受け入れるけど、行動が諦めてないですね・・・あら。
諦めつつも、万が一うまくいったらいいなという思いは、どこかに残っている。でも期待すると裏切られるし、勝手に母に当たることになるので、あまり期待はしないという感じかもしれませんね。
お役に立てて、うれしいです!

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて12年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか