3カ月ぶりに認知症の母と再会!そのときの反応は?

カレンダー
お母さんと息子がさ、車の中で2人っきりになったとき、「おたくはどちらのお子さんですか?」と聞かれて、息子がびっくりしたらしいよ

妹から、母が孫を忘れてしまった話を聞き、軽い衝撃を受けたわたしは、新型コロナウイルス対策のための5日間のビジネスホテル生活を終え、実家へ帰りました。

5日分の服などが入った重いリュックサックと手提げ袋を抱えながら、30℃近くあった盛岡の町をマスクをしてひたすら歩くこと1時間。新型コロナウイルスのことを考え、公共交通機関の利用を控えたため、超汗だくで実家に到着しました。

母がデイサービスに行った直後を狙って帰宅したので、実家には誰もいません。妹が掃除をしていてくれたので、部屋はキレイで特に変化はないようです。

さて、3カ月ぶりに実家へ帰ってきたのはいいけど、いつも帰省後にまず何をしていたっけ?

とりあえず手洗い・うがいをしっかりしたあと、入口のドアノブ、手すりなど、ひたすらアルコール消毒を開始しました。そんな中、最初に気づいた異変がこちら。

カレンダー
カレンダーは4月のまま

カレンダーが4月のままでした。わたしは3月31日まで盛岡に居たので、カレンダーを4月にして帰京しました。次は1か月後か、2か月後くらいの帰省かと思ったら、思ったより長引いて3か月も時間が経ってしまいました。

認知症の母は日付が分からず、カレンダーの時間が止まったままだったので、7月までめくりました。次に気づいた異変がこちら。

暑いのに灯油ファンヒーター

いつもなら灯油ファンヒーターの灯油を使い切って、掃除して片づけているところです。盛岡も季節が変わって夏なのに、ヒーターがまだしっかりありました。これも早速片づけました。

母がデイサービスから帰宅するまで、約7時間あります。1時間歩いてすでにヘロヘロですが、やるべき家事がたくさんあります。

まずは食器や調理器具などを、ひたすら洗うところから始めました。母は洗い方が雑なので、今回は食中毒対策も兼ねて、しっかりアルコール消毒もしました。

片っ端からすべて洗い直して
アルコール消毒をひたすらやる

その後、盛岡の天気予報を見ると、梅雨ということもありしばらく晴れがありません。ビジネスホテル生活でたまった洗濯物から処理しようと思い、洗濯機を開けてみたところ異臭が。異臭の正体を探る時間もなかったので、衣類を入れずに、洗剤だけ入れて洗濯機を空で回すことにしました。

洗濯槽がキレイになったところで、わたしの洗濯物を一気に洗濯。次に、生乾きで変な臭いのするタオル群をまとめて洗濯。(母はきちんと乾かないのに、タオルを畳んでしまう習慣がある)

最後に異臭を放っていた、母のパンツ(尿パッドつきで洗濯機の中にあった)をまとめて洗濯して、最後に洗濯槽のつけ置き洗いまで行いました。

冷蔵庫もいつも通り荒れていたので、これらをすべて廃棄して、不足している食料品を購入しに買い物へ行きました。同時に、日用品の在庫切れも多かったので、これらも一通り購入。洗濯、アルコール消毒、食器洗い、買い物などをしていたら、母が帰ってくるまで残り2時間となりました。ランチを食べる暇がなく、冷蔵庫になぜかあった、岩手・宮古の塩ドーナツで済ませました。

デイから帰ってくる日は、母が数分でできる焼きうどんを作ってもらうか、わたしが冷蔵庫に残っている残り物でマーボー丼を作るかです。豆腐が余っていたので、今日はマーボー丼(丸美屋)を作り、ギリギリですべて作業を終え、母を待つことにしました。

2人分のマーボー丼(余っていた納豆入り)

デイサービスから帰ってきた母

15時30分ごろ、母がデイサービスから帰ってきました。

いつもならデイサービスの送迎車そばまで行って、手足の不自由な母をピックアップするのですが、盛岡に来てまだ5日しか経過していません。人に会わない期間と自分で決めているので、音で母が帰ってきたのを確認しました。

デイの送迎車が消えたところで、2階の自分の部屋からそっと降り、母が玄関の鍵を掛けようとしたところで、何も言わずに母の前に立ってみました。

母はわたしを見るなり、2秒の沈黙……。

え? 孫も忘れ、息子の顔も忘れてしまったのか?

あら、あんた今朝いたの?

おーーー! 3か月ぶりでしたが、どうやら息子の顔は認識できたようです。そして「今朝いたの?」は、わたしが東京から帰ってくると必ず言うセリフです。

2012年から遠距離介護を始めて、8年目。誰よりも長い時間、母と一緒に生活してきました。正直、そう簡単に忘れるわけない、たった3か月で自分の記憶が消えるわけないとは思ってはいたのですが、孫を一時的にでも忘れた話がショックで、認知症が急激に進行してしまったのでは?という気持ちもあって、会うまでかなり不安でした。

今日は誰が送ってきたの、男の人?女の人?

母はデイから帰ってくると、3時間くらいは誰が送迎担当だったのかを、何度も何度も質問してきます。あぁーー、いつものリピート。いつもなら、しつこい!と心の中だけで思ってしまうリピートですら、なんだかうれしいし、懐かしいと思えるから不思議です。

しばらくして、わたしの顔をじっと見て、急にこんなことを言い出しました。

そう言えば、久しぶりじゃないの?
え、なに? 3か月ぶりって、わかってるの? いや、そこまでは分からないはず。この日の母は「調子がいい日」だったようで、わたしと会うのが久しぶりだと気づいたようです。

ただ、新型コロナウイルスの影響であることや、3か月という期間までは分からず、ただなんとなく、久しぶりに息子にあったと気づいたようです。コロナについて説明すると、

何なの、コロナって。それはどこからきたの?
3か月前とほぼ変わってない理解度でした。わたしが台所に立っていると、母からこう声を掛けられました。

ちょっと、ひろ!これみて!
おーーー! テレビを見ていて面白い場面があると、すぐ呼ぶ癖があります。そこではなく、どうやら息子の名前も忘れていなかったようです。

息子の顔が認識できて、息子の名前がすらっと出てきました。認知症の症状は相変わらずですが、それすら正直うれしい気持ちでした。何でもない普通のことに、いちいち喜んでしまいました。

息子が認識できたという第一関門を突破しただけなので、これからの日常生活の中で認知症の症状の変化を確認していきます。

また、わたしの無症状感染はまだ気になります。WHOがいう潜伏期間平均5日はクリアし、記事を書いている時点で1週間までクリアしましたが、最大2週間と言われているので、完全に不安は消えません。

母とわたしの体温測定はずっとやっていて、今のところ問題ありません。そして誰とも会わず、買い物とお散歩以外の外出もしません。用事は2週間が経過した、来週以降にすべてこなす予定です。必死の思いで帰ってきたわけですが、別の心配事が増え、思っていた以上に大変です。

わたしが盛岡でコロナ調整している間に、東京都民に不要不急の他県への移動は控えるようにというお達しが出ました。国はそこまで求めないという二枚舌モードになってますが、前者のイメージが岩手の人にも強く植え付けられることでしょう。

人に会うときは「盛岡に来て、2週間経って健康です!」って、ムダにアピールしないといけないかもしれません。ペンダントでも作って、首からぶら下げようか? 

盛岡は暑かったり寒かったり、朝と日中の気温差も大きかったりして、油断すると普通に風邪をひきそうです。今は本当に風邪を引けないので、帰ってきたはいいけど、いろいろなプレッシャーがハンパないです。ブログの記事でこのことを公開していいのかという葛藤もあります。(書いちゃったけど)

でもでも母の初日の反応としては、合格です!!

今日もしれっと、しれっと。


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東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

4件のコメント

こんにちは。
わたくしも、母(夫婦二人暮らし)のいる盛岡と横浜で行き来しております。私が救急の看護師をしている事もあり1月から帰っておりません。今回ちょっと母が怒りっぽくなっていますと、ケアマネさんから連絡をいただいたので帰ろうとしたら、施設長から二週間デイサービスの利用はできなくなります旨の連絡をもらいまして、行くのを断念したところです。二週間以上滞在予定じゃないと行けそうにありません。スマホは使えず、電話の回数を増やしているところです。

カノコさま

はい。二週間デイサービス利用できなくなるケース(盛岡で)、このブログにもコメント頂いております。わたしもそうだったのですが、自分の生活環境について説明したところ、クリアできました。事業所によって方針は違うようです。

母が CT で脳梗塞が見つかり
入院することになりました

大学病院は 普通だったら
初診は7月末なんですが
かかりつけの病院のお医者さんが
緊急ということですぐに手配をしてくれて
月曜日に脳梗塞が見つかって
次の日の火曜に入院することができました

病院で劇的に 回復しない限り
残念ながら母の一人暮らしはおしまいになり
多分父と同じグループホームに入居することになります

父が グループホームに入居して2年半
母の一人暮らしを全力で支えてきました

ひたすら父の介護を献身的にしてくれた母への恩返しと思って
深夜に電話で叩き起こされても
なんとか優しい娘の演技ができました

色々調べてみると
脳梗塞だけでなく
視野狭窄までありました

こんな状態でよくぞ転倒しないでいてくれたと
本当に感謝しています

脳梗塞はいきなりで
金曜日まで平気だったのに
土曜日にいきなり 左肩を落として歩くようになりました

日曜除いて 毎日デイサービスに行っていたので
職員さんが気付いてくれて
本当に感謝です

もっと長く 家で過ごさせてあげたかった
でも私も兄も 母と同居することはできません

この頃の母は本当にできないことが多くなって
それでもなんとか自立しようとしてくれました

こういうことって本当に突然来るんだなーって
今実家に一人いて
くどひろさんを始め、
本当にいろんな人に支えられたなーって
感謝の思いでいっぱいです

そして私も頑張ったって
自分で自分を褒めています

ままりんさま

びっくりしました。突然来る気持ち、よく分かります。

岩手の父に緊急で呼ばれたうちの1回が脳梗塞で、片半身の麻痺や話し方がモゴモゴ言うようになりました。しかし、病院にすぐ行ったこと、本人がリハビリに対して積極的だったこともあって、ほぼほぼ元の状態まで戻りました。

この経験から、わたしはリハビリテーションの大切さに気付きました。お母さまのリハビリの理解度や熱意、ご家族の状況などいろいろあるかと思います。かなり早い段階からリハビリを行うと思いますし、そこが今後にとって最も大切な時期になるはずなので、できるだけお母さまに寄り添ってあげてください。

ままりんさま、よく頑張ったと思います。

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(80歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて12年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか