2017年5月11日、56歳で亡くなられた村上智彦先生の最期の著書「最強の地域医療」という本を読みました。財政破綻した北海道夕張の医療を変え、町をも変えた医師として有名な方です。(少し前のNHKのリンク貼ります)
わたしのFacebookタイムラインで、闘病中の村上先生の写真をお見かけする機会がありました。それでも村上先生がどのようなことをされているか、実はあまり知りませんでした。訃報に驚き、書店で本を購入して読みました。読み進めると、2つの本がすぐ頭に思い浮かびました。
本を読んで思ったある2つの共通点
皆さんは2012年に41歳という若さで亡くなられた、流通ジャーナリストの金子哲雄さんの著書「僕の死に方」という本を読んだことはありますか?
肺カルチノイドという病魔と闘いながら、自分の葬儀をプロデュースしたり、残される奥様のための準備を金子さん自身がすべて行うという心揺さぶられる作品です。村上先生も急性骨髄性白血病(血液のがん)と闘いながら執筆するという境遇があまりに似ていて、その時と同じ気持ちで読みました。
普通に執筆することですら大変な作業ですが、それでも「人に何かを伝えたい」という思いは、生きる糧になったと思います。どんなに体力がなくとも、抗がん剤の影響で吐き気に襲われても、書き続けるということが残された時間を有意義なものにする行為だったのだろうと想像しました。
人に伝えるということは、今ではSNSを使う人が多いので日常になりました。その日常も、余命を意識しながら人に伝えるということは、より言葉が研ぎ澄まされるのでは・・・そう思いながら読んだので、前半の闘病記はわたしも完全にシンクロしました。やはりお医者様でもひとりの人間、病魔と闘うことは本当に大変です。
もうひとつは、つい先日読んだばかりの中村仁一医師の「大往生したけりゃ、医療と関わるな(介護編)」という本を思い出しました。村上先生と中村先生が、偶然同じことを言っています。ざっくり要約すると、
- 膨れゆく社会保障費を、もっと若い人のために使う
- 余計な治療をしないで楽しく生きた人のほうが、長生きする
わたしのような介護家族には、今後の医療とのつきあい方と「いい線引き」ができました。やるべき医療、受けるべき医療は受けたとしても、過剰にやる必要はないと。自然に治癒する人間の力を、どうやって引き出すべきかとシンプルに問いかけるほうがいいように思えました。
病院や施設で遅れている栄養学
本の中で一番印象に残ったのが、村上先生はご自身の入院体験から、病院の食事がまずくて制限ばかりして、かなり時代遅れだという話です。施設でも栄養面の邪魔を一番するのは、栄養士と医師という記述が印象的でした。「美味しいと感じる時間」がないと病気は良くならない・・わたしのような素人でもそう思います。食べる喜びを見つけることの方が、よっぽど自然治癒につながりますよね。
下手に勉強してしまうと「本質」を忘れてしまうといいますか、栄養士としてのスキルやツールを使うことに走りがちですが、本質はやはり「患者さんの状態」にプラスになることに注力すべきでしょう。
これは栄養士に限らず、あらゆる職種の方に当てはまると思います。自分の得意分野に持ち込んでいるつもりが、「それって、本当に本人のためになるの?」というシンプルな質問に、複雑に回答してしまう方はその傾向にあります。
ご冥福をお祈りいたします。
今日もしれっと、しれっと。
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