わたしは講演会のオファーを頂いたとき、必ず確認することがあります。
どの主催者もざっくりとした参加者の平均年齢は分かるので、「70代くらいです」という回答や、「40代くらいです」という回答だったりします。
実は世代の振れ幅が大きいので、その世代に合わせた内容に毎回講演をカスタマイズして臨むのですが、こんな気持ちで参加する方が必ずいらっしゃいます。それは、
「今はまだ元気だけど、いずれ自分が介護(認知症を含む)を受けるかもしれない」
という方。ブログよりも本でわたしを知ってくださったり、誰か知らないけど講演のチラシでとりあえず参加されるみたいです。
わたしの息子や娘は、くどひろみたいな介護してくれるだろうか?
以前、このブログのアクセス数が急増した原因を調べたところ、母が大好きな舟木一夫ファンの皆さまが、わたしと母でコンサートに行った記事を見つけてくれて、ネット掲示板でリンクを貼ったからでした。この時に書いてあった内容も、
- 優しい親孝行な息子さんですね
- それにしてもよくできた息子さんで感心します
とまぁ、えらく褒められました。と同時に、こうも書いてありました。
できた息子、優しい息子と思われるのは、荷が重くて・・・。自分ではそう思ってないし、実際そんなにステキな息子でもないんですよ。仕事すぐ変えるし、孫もいないしで。
でもわたしの介護経験を、自分の息子・娘と重ね合わせている気持ちは分かります。第一次ベビーブーム世代の子どものわたしは、第二次ベビーブーム世代です。わたしが登壇すれば、「あ、息子がしゃべっている」と感じる人もいるんだろうなと。
医師・介護職ではなく、介護家族が登壇しているので、より一層息子とシンクロするのかもしれません。では、親として、その不安をどう解消するべきかを勝手に提案してみたいと思います!
息子・娘は介護してくれるのだろうか?
親として、息子・娘に愛情を絶え間なく注いできたのなら、子どもたちは分かっているはずです。わたしも母に関しては、立派に育ててもらった恩を感じているので、こういう介護になっていると思います。
出て行った父、小学生のわたしにケンカを吹っかけた祖母は、仲は良くなかったのですが結局は介護しました。もちろん恩はあるんですけど、それを帳消しにする行動もあったので、最後は自分が後悔するかしないかで判断したとき、なんか後悔しそうだったから介護しました。
育てたリターンが子どもから必ずあるかと言えば、大人になるにつれていろんな人格に変化していくので、ないケースもあると思います。「見返りを求めないのが愛情」とはいえ、それでは今後の不安が解消されない・・・ならば、こうするのはいかがでしょう?
親としての意志を示しておくことが最高の愛情であり、見返りにもなる
もし、息子や娘が面倒を見てくれないかもしれない・・・という心配や不安があるのなら、ご自身の今後について何かに書き記しておくことが最高の愛情になるとわたしは思います。
このブログでは何回も「エンディングノート」の大切さを書いてきましたが、どちらかというと介護者側(子供たち)から親に対してアプローチして書くという話ばかりでした。
そうではなくって、自発的に親として元気なうちにエンディングノートに、財産のありか、介護は施設か在宅か、延命措置はどうするかなど、自分の希望をこれでもかってくらい、細かく書いておくのです。
これをやっておくだけで、いざ介護が始まったときに子どもの介護負担はグンと減ります。親の意志が分かっていれば、子どもはそれを叶えるように動けばいいのです。子どもだからって、親の意志をきちんとくみ取れるとは限りません。意外と聞きづらいことも多く、特に財産のことは質問できません。
うちの子どもは介護をやってくれるのだろうか・・・という受け身ではなくて、介護をどうして欲しいのかを子どもに早めに意志表示しておくことが、子どもに対する最強の優しさであり、愛情なんじゃないかと思います。
とか言われたとしても、人間いずれ死ぬのですからムダにはなりません。
わたしの最新刊「がんばりすぎずにしれっと認知症介護」は、親から自分の子どもへプレゼントするケースも多いみたいですよ・・・あら?
今日もしれっと、しれっと。