認知症介護をしている介護者が、他の介護者に嫉妬することもあるらしい。
例えば、助けてくれる親族がたくさんいるとか、別居介護でも家が近所だとか、遠距離介護がうらやましいとか、まだ認知症の症状が軽いとか、経済的に余裕があるとか、うまく認知症介護ができているとか、介護と仕事の両立ができているとか、旦那が介護しているとか・・・。
認知症介護をしている人が、全く介護していない人に嫉妬することはあるかもしれない。しかし、お互い大変な介護者同士の嫉妬もあるのかと驚いた。
他の認知症介護者のどこを見ているか
わたしは他の介護者とお話しするとき、介護度の高低に関わらず、また介護歴の長短に関わらず、何かを吸収しようと思っている。そこには嫉妬はなくて、うちの介護に当てはめるとしたらという視点も持ちながら聞く。
介護でご苦労されていることに共感する一方で、ラクそうに介護している人を偉いと思うこともよくあって、なんでラクになったかを知りたいと思う。
あと、介護のプロなのかどうか、あまり意識はしていない。介護者なりの工夫とか、一味違ったスパイスを投入しているとか、そういうことを知りたいといつも思う。
「なに、その斬新な発想」、「なに、そのおもしろツール」、「どうやったら、その境地に到達するの?」とかとか。そこに嫉妬心はなくて、好奇心しかない。
100人いれば100通りの介護があるってよく言うけど、本当にそう思う。
同じ認知症であっても、症状は本当に人それぞれ。だから、他の介護者の症状の対応方法を聞いて、なるほどなぁと思うことのほうが多い。
介護の大変さの尺度の個人差もある。わたしが苦労した、大変だと思っていることも、他の介護者には楽勝に見えることもあるし、その逆もある。なんで楽勝に見えるのか、そこが知りたいと思う。これもまた好奇心。
症状もバラバラで、それを受ける介護者の感じ方もバラバラだから、認知症介護のバリエーションなんでどれだけあるか分からない。だから、わたしの介護ブログが全くはまらない人もいるし、ドハマリしてくださる方もいるのだ。
そもそも他の家の介護が、100%自分の家とマッチはしない。それでも、考え方の一部を吸収したり、ある部分だけ共通していたりすることはよくある。そういうパーツ集めをするのが面白いと自分は思うのだけど、そこに嫉妬が生まれてしまうのはなぜだろう。
残念ながら他の介護者に嫉妬している暇はない。
奥が深い認知症介護はまだまだ分からないことだらけだし、経験していないこともたくさんある。
だからいいところだけたくさん吸収して、より楽な自分流の介護を見つけよう! と改めて思った。
嫉妬は誰でもするから気にしないでいい。問題は嫉妬の後どうするかだ。嫉妬はエネルギーを生産するが、そのエネルギーの使い道を決めるのは君。そのエネルギーを使って他人を悪く言ったり嫌がらせして自分は何も成長しないか、そのエネルギーを使って努力や勉強を頑張り自分の成長のキッカケとするか。
— Testosterone (@badassceo) 2018年9月8日
今日もしれっと、しれっと。
いつも拝見させていただいています(^^)
「嫉妬している暇はない」は真実でしょうが、なかなかその境地に行ける人ばかりではないか、と。
私の場合は他の方と比べて「うちはまだマシかなぁ」と思うことが多いので(実際そうですし)、「ほな頑張ろか!」となるので問題ないですが、境遇の似ている他人と比べてしまうのも仕方ないかなと思います。自分の置かれている状況に少しでも悲観的な感情があったり、「私、可哀想」という心持ちでいると、何事もネガティブに捉えがちですよね。
なので、親の「困ったエピソード」は「面白ネタ」に変換してなるべく笑って過ごせるように心掛けています。
けろけろさま
いつも読んで頂いてありがとうございます!
比較のちょっと先にある嫉妬というステージのお話を書きました。
コメントの最後のところ、わたしも実践しております。
いつも楽しくブログを読んでいます。
私の勝手な考えですが、ほかの介護者に嫉妬する介護者は、一事が万事で、恐らく介護以外のことでも、他人と比較しては、ああだこうだと言っているのではないかと思います。
そんな暇があれば、介護について調べ、考えていきたいですね。
私もけろけろさん同様、「うちはまだ楽かな」と思っているので、比較のしようがないですし、わからないことがあれば、くどひろさんをはじめ、介護をされている方の文章で勉強させていただいています。
はぴねすさま
おっしゃるとおり、介護に限らずかもですね。
介護以外のところでわたしも嫉妬は少しあると思うのですが、介護に関しては不思議とそういう気持ちが起きません。同士みたいな感覚のほうが強いです。