認知症の人は短期記憶、いわゆる「 ついさっき 」を思い出すのが苦手と言われる。
母も1分前のこと、1時間前のこと、昨日のことはきれいサッパリ忘れている。
でも長期記憶は、脳の記憶の棚にしっかり入っている。
40年前、実家の前に広がっていたリンゴ畑はしっかり覚えているし、65年前、学区外から小学校に通っていたことも覚えている。
しかし、認知症がさらに進行すると、この長期記憶まで思い出すのが苦手になる。
当時のリンゴ畑は住宅地に変わってしまったが、当時からある庭の梅の木は変わらずにある。
1年前までは「今年は梅の実がならないわね」と言っていた母も、今年は「あれ、何の木だっけ」という。
人生で何百回、何千回と書いてきた、自分の名前、住所を書こうとすると、ペンが動かない。
長女の名前と孫の名前が入れ替わる。
母が認知症を発症したときはショックだったが、長期記憶が少しずつ失われる瞬間に寄り添うのも、同じくらいショック。
昔のことなら何度でも話すことができた、その思い出自体が分からない、言葉にならない。あれ、それと、代名詞ばかりが増える。
それでも、わたしの中で「まだ記憶できるかも」という期待は、完全には消えてない。
その期待を上回る、諦めのほうがはるかに強いので、短期記憶は全く覚えてないという前提で、母と接している。
認知症介護を長く経験した先にある、諦めの境地というやつだ。
家の大掃除中に見つけたもの
次の遠距離介護まで1か月空くことになり、わたしは実家の大掃除をしていた。
家族5人が住んでいたこともある実家は、まあまあ広い。
ほぼ使われていない客間、母の寝室、台所、廊下をひたすら掃除。
母が1日のほとんどを過ごす、居間も掃除した。
6月でも盛岡の朝は寒いので、コタツ布団は今もそのまま。
母の指定席の真横には、竹で出来た椅子があり、デイや訪看、訪問リハの連絡帳が無造作に重なっている。
それらを整理しようと手に取った瞬間、何かがヒラリと床に落ちた。
何かとは、綾小路きみまろのライブCDの新聞広告。(上の写真が現物)
1か月前の母の日、わたしと母できみまろのライブに行ったばかりだ。
ライブ中は涙を流しながら笑っていた母も、帰りのタクシーでは、何のライブに行ったかも覚えていなかった。
その後も、きみまろの「き」の字も出ないほど、ライブの話題はなく、母の記憶からキレイに消えたと思っていた。
それなのに、この広告は・・・。
母の頭の奥のほうには、母自身も自分では取り出せない、爆笑ライブの記憶が残っていたのだ。
この新聞広告がきっかけで、格納庫からホコリの被った記憶が取り出されたのだ。
諦めの境地に達していたわたしは、思わず顔がほころぶ。
広告にはこう書いてあった。
「言ったことは忘れ、言おうとしたことまで忘れ、忘れたことも忘れました」
きみまろ語録、もう笑うしかない。
こういった新聞広告は、母が電話して購入する可能性があるので、いつも捨てている。
購入したのに、請求書を紛失して支払わず、業者に催促されたこともあった。
本当はきみまろの広告も捨てるべきだが、電話番号のところを切り取り、そっと椅子へ戻しておいた。
今日もしれっと、しれっと。
まだ出来る事に喜び、記憶の中に忘れてしまった事に悲しみ、日々変化している事にアンテナを張り、変化しない事に安心する毎日です。くどひろさんのブログに共感しながら、力を頂いています(^^)
サカモトさま
「変化しないことに安心する」よく分かります!
認知症の同じ症状の繰り返しでも、進行してないんだと安心しますよね。ブログ読んで頂き、ありがとうございます!