先日見守りカメラを見ていたら、母が車庫の電気をつけ、そのまま戸締りをする瞬間が映っていました。
車庫の電気をつける習慣はありません。わざわざ外の電気をつけて戸締りをする意味はないし、電気代がもったいないので、母に電気を消してもらうよう電話でお願いすることにしました。
母との電話の内容
もしもし。車庫の電気がついてるから、1晩中電気つけとくと電気代がもったいないから消してもらっていい?
いきなり電話がかかってきて、こんなこと言われたらなんで分かるの? って普通はなりますが、母は疑問に思っていないので最近はいきなりこういう感じで話を始めます。
なに? 車庫? どこの電気を消すの?
車庫ってわかる? 車を止めるところのスイッチを押せば、電気は消えるから
スイッチって何? どこ消せばいいの?
車を止めるところの電気がつけっぱなしになっててね。それを消して欲しいの。もったいないし、夜中に目立つでしょ?
それは、誰がつけたの?
だれって、ひとりしかいないでしょ。自分でつけたの、自分で。
いや、誰かが来てつけた。その人がね、ずっとつけておいたほうがいいって言ってたのよ
3分くらい話したのですが、会話が全く成立しません。車庫が通じないし、自分で無意識のうちにつけたスイッチの場所も分からないようです。
途中からは母が自分で電気をつけたことを認めない方向で話が進んでしまい、いるはずのない謎の人物に責任転嫁する流れになってしまいました。
しかも最終的には、電気は1晩中つけておいたほうがむしろいいという、自己肯定するための理由を持ち出してきて、結局車庫の電気は消してもらえませんでした。わたしも最後のほうはだんだん責める感じになってしまったので、それもよくないのだと思います。
ただ電気を消すだけのお願いも、認知症が進行してくると思うようにいきません。エアコンや照明など主要なものは遠隔で操作できる環境にありますが、さすがに車庫までは対応していません。
何度も繰り返されるようなら、おそらくスイッチカバーで対応するしかないかなと思ってます。以前水道管凍結防止ヒーターのスイッチを切ってしまったときに購入しましたが、対策してからは1度も切られてません。こういう場所が増えていくのかもな、なんて思った出来事でした。
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今日もしれっと、しれっと。
電話のやり取りが身につまされる思いです。
先日は、前日一緒に買い物行ったことを説明していると、自分が行ったことを思い出せないので、”誰かと行ったんだろう!”と最後はいもしない誰かに責任転嫁します。
それも本筋の説明している中から話が逸れた状況で本筋の話が進まなくなってしまいます。
結局、強引に話を本筋に戻して終わらせますが…
まだうちは見守りはしてませんが…見守りする体制だと、常に見なければならないような観念と見た時の気づきでのイライラが毎日続くことが憂鬱で…
あおいさま
見守りカメラは常に見ていられないので、気になるところだけ見ています。
離れていて何もできないし諦めるしかないので、わたしはいい感じで俯瞰できています。