新しい認知症ケアの時代の到来による家族の新たな悩みが分かる本『家族はなぜ介護してしまうのか』

家族はなぜ介護してしまうのか

今日は、認知症介護を何年か経験していて、少しでも認知症の勉強をした経験のあるご家族に読んで欲しい本をご紹介する。

タイトルは『家族はなぜ介護してしまうのか 認知症の社会学』(世界思想社)。著者は大阪市立大学都市文化研究センター研究員の木下衆さん。

わたしが認知症や認知症に関する社会の動きに対してうっすら感じていたものが、そのまま文字になった!そんな印象だ。

本の中で特に印象に残った箇所を、いくつかご紹介したい。

新しい認知症ケアの時代の中で生きている家族

患者個人の尊重を求める新しい認知症ケア時代という背景の下、認知症概念について知識を得た家族は、患者の人生について知りうる、いわば代替不可能な存在として位置づけられる。そんな中で彼らは、自ら積極的に、より良い介護を探求するようになってしまう。

引用元:家族はなぜ介護してしまうのか

2000年代より前の認知症治療は、身体拘束や投薬で症状を抑え込む時代。

その後、痴呆という差別的な表現から、認知症という言葉に変わったり、パーソンセンタードケア(認知症ご本人を尊重し、その人の視点に立ったケアを行う)が広がったりなど、認知症当事者の立場や視点が配慮されるようになった。

さらに、認知症当事者も自らの声を発信するようになり、耳を傾けようとする人々も増えた。

わたしは認知症介護歴7年目になるが、この間にも、世間の認知症に対する見方は変化していると思う。認知症の人らしさを追求する流れになってきてはいるが、すべての人が「その人らしさ」を追求できていないし、まだ不十分である。

認知症の家族の「その人らしさ」を追求する社会の流れの中で、その人らしさを知り得る家族の存在がとても重要になってきている、という記述が特に印象に残ったので、引用した。

その人らしさを追求する家族の悩み

軽度の認知症の方なら、ご本人から昔の話を聞くこともできるのだが、認知症が進行すると、本人ではなく家族がその人の昔を思い出す。

その作業は認知症ケアにとって大切なことだが、家族の負担になることもある。家族との関係が、いい思い出だけで構成されているわけではないからだ。

忘れていた、思い出したくもないつらい思い出まで、一緒にひっぱり出してしまい、それに苦しむ家族もいる。認知症ケアを一生懸命頑張ろうにも、そちらの比重が重すぎて、理想の認知症ケアにならないと悩む人がいる。

わたしも亡くなった認知症の祖母とは、仲が悪かった。元気な頃の祖母は金にうるさく、小学生のわたしを泣かせる勝気さで、嫌いだった。思い出したくない過去ではあったが、死にゆく祖母の弱った姿と相殺しながら、最期まで介護ができたし、認知症の奥深さを学んだ。

ちょっと前の認知症ケアなら、家族はこんなレベルの高い悩みを抱えなかったはずだ。

新しい認知症ケア時代の家族のあり方

その人らしさを知る上で、認知症の家族がどんな人生を歩んできたかを知ることはとても大切だと思う。

だけど、認知症になったあとの人生だって、十分に面白い。わたしの知り得ない母を、ヘルパーさんは知っているし、理学療法士さんも知っている。訪問看護師さんも、母の違う側面を知っている。

その人らしさを追求し、その責任を家族が代わりに背負うとしても、すべての責任は負いきれないし、負えないと思う。

わたしが知り得る、母の昔をいろいろ推測しながら認知症ケアをしてきたが、本人らしさをどんなに追求しようとしても、理解できないことがいっぱいある。

息子の前で理想の母親を演じつつも、ブラックな面があったはずだ。決して息子には見せられない、ブラックな部分が。それが今になって、理性でうまくおさえられず、以前の母なら決して言わないようなことまで言う。自分の中にもそういう面が少しはあるから、理解できる。

だから、家族だけが、一番長い時間接してきた自分だけが、その人らしさをすべて知っているなんて、実は大きな勘違い。わたしが知り得ない母のほうがむしろ多いわけで、どんなにその人らしさを追求しようとも、答えは永遠に見つからない。だから、責任は負いきれない。

身体拘束が横行していた時代と2019年現在を比べれば、今の方がずっと、介護をする人・される人双方にとって良い時代だ。しかし一方で、その人らしさを尊重するということは、私たちに深い悩みをもたらす困難な取り組みでもある。つまり、この時代、この社会に生きるからこそ、介護家族は悩まざるをえなくなった。

引用元: 家族はなぜ介護してしまうのか

もし、新しい認知症ケアの時代を生きる中で、周りから受ける家族なりのプレッシャーを感じているのなら、この本を手に取って、客観的に自分を見つめ直して欲しいと思う。

答えのないものをみんなで探そうとしているのだから、家族はそんなに悩む必要もない。家族であっても、他人のすべてを知ることはできないのである。

現在の認知症介護家族は、誰もが昔からやっていたことではありません。むしろ今介護している家族は、人類史上初めて、患者のその人らしさを尊重するという問題に取り組んでいる世代、とすらいえるかも知れません。

引用元:家族はなぜ介護してしまうのか
家族はなぜ介護してしまうのか―認知症の社会学

家族はなぜ介護してしまうのか―認知症の社会学

木下 衆
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【わたしの書いた最新刊】
東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

4件のコメント

お母様の入院生活、検査結果も、無事でありますように。
ご紹介の本、読んでみます。
ちなみに、昨夜も、Amazonで、くどひろさんの本も注文したのですけど。(すみません。まだ読んでないのが、ありました。)
ありがとうございました。

ひまわりさま

電波時計、うまくいってよかったです。使っている方、結構いらっしゃいますよ。
今日の本は、ひまわりさまのように知識のある方で、家族介護をしている方は、新時代のプレッシャーに気づくと思います。

本購入して頂き、ありがとうございます!

何故、私は母の所に2時間もかけて通うのか疑問に思ってました。人のお世話なんて、どうしたらいいかわからないしといつも迷っています。でも今日もまた来てしまったのです。一日中洗濯ざんまいです。 私はよく同じ質問をされます。「何故施設にいれないの?」って。答えにいつも迷います。何故なんだろう? 意外に今の状況に私は納得出来てるのかもしれない?母はどう思っているのかな? とにかく本、読んで見ます。ヒントがのっていることを期待して。

南の9月さま

これはわたしの答えですが、母が家にいたいというから、施設は利用していません。(今のところ)
そして、その状況に納得して、わたしは遠距離介護しています。
社会学の視点の本ですが、何かヒントになるといいですね。

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工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて13年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか