【愚痴】家を出て行って23年の父が、突然お通夜会場に現れた!

【かなり愚痴めいた内容なので、不快と判断したら途中で読むのをストップして頂ければと思います。】

わたしの父(72歳)は23年前に家を突然出て行ったきり、一度も帰ってきていません。別な場所にマンションを借りて生活しています。住所も分かっているし、連絡先も分かっていますが、喪主である私は、父への連絡を  ”わざと”  遅らせたのでした。なぜなら、

「面倒くさい父親だから」

です。祖母(90歳)が亡くなった事を電話をすると、驚くほどすぐに葬儀会場へやってきました。父と母はわたしの結婚式以来なので、実に10年ぶりの再会です。別居中なので、子の私としては ”2人が同じ空間にいることが気まずい・・・・” 

気まずさが漂うお通夜会場、さらに初めての喪主。葬儀をどう執り行なっていいか分からない状態だったんですが、追い打ちをかけるようにさらに気まずくなりました。”葬儀への口出し” を父が始めました、喪主のわたしとしては、知り合いの葬儀屋さんにすべてを託すつもりでいたのにです。

一方の母は認知症ですが、10年ぶりの父の事は分かったようです。毛も減ってるし、太ってるし、脳梗塞の影響で口がモゴモゴして、10年前とはだいぶ違っている父ですが、ばっちり認識できました。葬儀の話し合いをしながら、気まずい2人を横目で見るわたし。

母が何か話しかけているようですが、父は無視・・・別居とはそういうものですが、ご遺体の前で何やってくれるんだ? 正直そう思いながらも、葬儀の話し合いを続けました。父には母が 「認知症」?という事も伝えてますが、それでも家には帰ってこず。

たぶん何もなければ、この父が介護だったり、喪主をする予定の人ですが、何せ別居中ですから、わたしに回ってきたのでした。でもこういう経験を40代前半でできるってまずないので、恨みがあったりはしないんですよね。ただ口うるさいから、黙ってろ! それだけです。

介護期間の1年は、父とは話さなかった理由

1年前に余命宣告を受けた時に、父に連絡したところ、

父:「葬儀社は決めたのか!おれの親戚の顔を立てないとだめだから、A社にしなさい!」

わたし: 「これからがん治療を始めるというのに、何言ってんの?しかも23年も別居してたくせに、うるせー!ガチャ。」

介護していた1年間は、一切連絡しませんでした。連絡する都度、間違いなく自分の親族の葬儀社を使わせたい・・・ただそればっかりです。自分のメンツを保ちたいんです。わたしを育てたという意味ではかなり感謝していますし、いい人なんです。が、この電話で完全にキレました。

婿である父は、祖母を ”おふくろ” と呼んでました。わたしが生まれる前にいろいろあったようですし、同居もしてました。よく考えれば、「心配してくれている」となるんですが、介護中の報告は一切しませんでした。話を、葬儀への口出しに戻しますね。

葬儀への口出し、始まる

突然、自分の親族の花を注文する父。準備してやったぞ!的なにおいがプンプンし始めたかと思うと、次はタクシー券を準備しろ!といい出します。

葬儀会場の空気は最悪なうえ、えらそうに口だけ出す・・・・葬儀屋よりも知ったかぶりをするので、

「ここに葬儀のプロがいるから、ちょっと黙っててくれる」

この後も黙ることはなかったんですが、”ある紙” をみて急に何も言わなくなったのです。

”ある紙” で青ざめる父

今回ご参加頂いた親族の皆様は、孫のわたしから見るとうっすら記憶があるか、全く知らない・・そんな人たちばかりでした。認知症の母に何回もどういうつながりかを確認しながら作った、法事の座席表が ”ある紙” です。父がその紙を何回も何回も見ています。

父:「いいか、家族葬っていうのは、こんなに呼ぶもんじゃないぞ!」

わたし: 「出て行った人が、あれこれ言うな!長年一緒に過ごしてきた娘の意向に沿うから!」

えらそうにあれこれ言ってますが、自分は出て行った身。親族からは 「出て行った人」 としか思われてないわけで、当然肩身が狭い。結局父は、お通夜、火葬、葬儀、法事すべてに欠席したうえ、香典も1円も払いませんでした。この話は、お通夜の2日前の話です。

切ない認知症の母

母: 「1年前にお父さんから電話があって、家に一度帰ってくるって連絡があった」

母は玄関に来客用のスリッパを並べ、父のために灰皿をセット、お寿司をとるかどうかを親戚に電話・・・3か月ぐらい、この行動が続いた時期がありました。これは完全に妄想話です。電話してくるはずないのに、認知症の妄想がこういう形で出るのは、あまりに切ないんです・・・・

こっちはイライラしていても、穏やかな感じで認知症の症状を示す母を見ると、父へのむかつきを止めざるを得なくなります。

母: 「お父さんのこと、悪くいわないの!」

とでも言いそうな、そんな勢いです。帰ってくる見込みはゼロなのに、認知症の症状の中で戻ってくると思いこんでいる母。幸いわたしと父とのバトルは、すべて忘れているようです。喪主ストレスがハンパなかった、葬儀前の出来事でした。愚痴っぽくて、失礼しました。


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東京と岩手の遠距離介護を、在宅で11年以上続けられている理由のひとつが道具です。介護者の皆さんがもっとラクできる環境を整え、同時に親の自立を実現するために何ができるかを実践するための本を書きました。図表とカラーで分かりやすく仕上げました。

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ABOUT US
工藤広伸(くどひろ)介護作家・ブロガー
1972年岩手県盛岡市生まれ、東京都在住。
2012年から岩手でひとり暮らしをするアルツハイマー型認知症で難病(CMT病)の母(81歳・要介護4)を、東京からしれっと遠距離在宅介護を続けて13年目。途中、認知症の祖母(要介護3)や悪性リンパ腫の父(要介護5)も介護し看取る。認知症介護の模様や工夫が、NHK「ニュース7」「おはよう日本」「あさイチ」などで取り上げられる。

【音声配信Voicyパーソナリティ】『ちょっと気になる?介護のラジオ
【著書】親の見守り・介護をラクにする道具・アイデア・考えること(翔泳社)、親が認知症!?離れて暮らす親の介護・見守り・お金のこと(翔泳社)、医者には書けない! 認知症介護を後悔しないための54の心得 (廣済堂出版)ほか