1か月ぶりに遠距離介護に復帰したとき、妻の体調は芳しくなかった。咳が出て熱もあったが、症状のピークは過ぎていたのと、実家の状況を考えると盛岡へ行かざるを得なかった。
盛岡滞在2日目の夜に、妻から「緊急入院した」とLINEで連絡が入った。
入院の準備は誰がする?
入院すると思っていなかった妻は、当然着替えなど準備していなかった。一旦家に帰って、入院セットを準備したいと医師に申し出たが、外出禁止命令が出てしまったのだ。
パルスオキシメーターでサチュレーション(SpO2)を測定すると、90%。低酸素状態で呼吸不全と判断されたため、外出許可が下りなかった。
誰かが入院に必要な着替えや日用品を準備しなければならない。うちら夫婦には子がいない。妻は姉に頼ろうとしたみたいだが、予定が合わなかった。家の鍵を持っているのは自分だけ。「明日なら、病院へ行ける」とLINEで伝えた。
東京を出発するとき、体調のこともあったので「何かあったらLINEして」と妻に言ったが、まさか遠距離介護中に帰京するとは思わなかった。
日曜日の日帰り往復でよかった理由
帰京は日曜日で、母の通院はなくデイサービスの予定はあった。朝起きて、母のリハパンを交換。朝食を作って、薬を飲ませて、着替えを済ませ、デイサービスの荷物をセットしたあと、母をデイへ送り出した。デイのスタッフさんに事情を伝え、夕方は不在になるとも伝えた。
すぐに実家近くのバス停へ向かい、盛岡駅へ。東北新幹線のタイミングがうまく合わなかったので、マックで早めの昼食。10時51分発の東北新幹線で2時間ほどかけて東京へ移動し、東京の家に帰って妻から依頼された荷物を急いで詰めて、鞄を抱えて病院へ向かった。
面会時間は15時からで、岩手からの移動や荷造りで到着が偶然15時になった。手続きを済ませて病室へ向かうと、妻は鼻にチューブを装着、近くに酸素ボンベが置かれていた。

実はこの病院、2018年に妻が膠原病で入院したときと同じところ。要は膠原病由来の肺炎・気管支炎なのか、違うのかの見極めが必要なのだ。
妻はあまり声が出せず、わたしも咳喘息の影響で耳の調子が悪く、声が聴こえず会話にならない。とりあえず入院セットを渡すことができたので、目的達成。母が寝る前に岩手に戻りたかったので、40分ほどで退室。この時点では、肺炎か気管支炎らしいとの診断だった。
病院を出て、急いで駅へ。16時22分発の東北新幹線に乗って、再び盛岡へ向かった。車内で見守りカメラを立ち上げて母の様子を確認したら、アルコール除菌ティッシュとノンアルコールのティッシュをボトルから出して、混ぜていた。
家を出るときに誤食しそうな石けんは片付けたのだが、唯一片付け忘れた除菌ティッシュを、しっかり触るあたりがさすが母。誤食の可能性は低いと思ったが、念のため早く帰宅することに。タクシーでコンビニに立ち寄り、夕食の冷やし中華を買って、実家で食べた。
自分の食事やお風呂が終わったあと、母を寝る前にトイレへ連れていき、布団に入ってもらった。その後、翌日のデイサービスの荷物の準備をして、忙しい1日は終わった。
翌日の夕方、盛岡で震度5弱の地震が発生。もし月曜日だったら、新幹線に閉じ込められていたかもしれない。そこだけはラッキーだったが、とんでもない地震だった。机の下に潜り込んで、机の柱を握って揺れに耐えた。古い家だから揺れて、体感は震度6だった。
どうやら肺炎らしい
酸素ボンベから、今はネプライザー(薬剤を霧状にして、直接肺へ届ける)に変わった。どうやら膠原病由来の肺炎ではないらしいが、結局は肺炎だった。
妻は長い間咳をしていたが、膠原病からくるものだと思っていた。膠原病でしょっちゅう体調不良になるから、判断できなかったのかもしれない。ちなみに退院時期は未定。サチュレーションの値の改善が、当面の目標となる。
明日、遠距離介護を終えて帰京する。退院時は自分が東京にいるはずなので、今度はスムーズに対応できると思う。
今日もしれっと、しれっと。





























くどひろさん
大変でしたね。
久しぶりにお母様に直接会えてよかった、奥様の急な入院に駆けつけることができてよかった、地震の際にお母様の近くにいることができてよかった、そしてくどひろさんの咳がかなり治っているようでよかった。
いま、親や家族の介護、介護未満をしている人が本当に多いです。
くどひろさんの日々の通信から勇気をもらっています。